演劇系パーソナルトレーナーについて②

故障してたり、猫背など姿勢悪い人は、当然生活に影響がある(肩こりだったり、呼吸浅くなったり)はもちろんのこと、そういう人は=(イコール)演技も下手くそのはずです。

動きのすべてが悪くなるし、余計な力が入るし、観てる人も疲れるし。 

「故障してる役」や「姿勢悪い役」が上手そうじゃないか?と思う方いるかもですが、厳密にはそれは演技ではないです。腰痛じゃない人が腰痛を真似た時、良い姿勢の人が猫背を真似た時に、はじめてそれが演技になるわけで。

つまり、ニュートラルなボディ・ゼロなボディが演劇では求められるわけです。しかも、わざわざ姿勢が悪い役をやるわけですから、普通の人より、健康でないと本当に悪くなってしまいます。


これは、精神面でも同じことです。悪役とか、精神乱れてる人の役とか。いわゆる「役にもってかれて」しまい、精神に変調をきたす。だから、役者は心も身も丈夫でないといけない。これは、現実の舞台を演じている、俳優ではない、一般の方も同じですよ。


思えば我々はたくさんの役を演じてます。母だったり、子だったり、職場の顔、職場でも色んな立場での顔、地域の顔、友人との顔、恋人との顔…いろんな人間関係の中で頑張って演じ続けている。大した稽古もせずに無防備に(笑) 

さらに現代は高度情報化社会で、精神的にも振り回されやすいし、デスクワークなど肉体的にも不健康にもなりやすい環境満載で“もっていかれ”やすい。「自身」を失いやすい。「軸」を失いやすい。「肚(はら)」がきまりにくい。地に「足」が着きにくい。うーん、日本語は絶妙ですね。精神と体がリンクしている。


いわんや、サッカーやゴルフなど、運動(自分の体を運び動かすこと)の進化系であるスポーツをやっても上手くいきっこない、のは想像するに難くない。さらにいわんや、見た目もかっこよく(美しく)ない。と、つながっていく。つまり、大事な基礎は、演劇のトレーニングにある。

演劇系パーソナルトレーナーと、ジムとかのスポーツ系パーソナルトレーナーはほかに何が違うかというと、演劇系パーソナルトレーナーの方が、体をもっと、より、心のように扱うと思います。


それはやはり、よりダイレクトに心を表現する芸術だからだと思います(もちろん他のスポーツや身体芸術も感情や心を表現しますが。より、です)。「心や感情がメイン」で「それを支えるための身体」て感じですね。身体芸術は、その逆ですかね。


例えば、ジムのトレーナーがカラダ硬いと言ったら、筋肉の拘縮や、可動域の悪さなど、どちらかというと、体を指してるイメージですが、演劇の先生が言うと、緊張しがちで脱力が苦手な身体って感じで、どちらかというと心の方を指してるイメージです。

気づいたかも知れませんが、使う字も、前者は「体」、後者は「身体」とよく使います。スポーツジムとか、フィットネスは、アメリカから来てるから、やはり「心身二元論(心と身は別で体を物と扱う)」の感はある。演劇の指導者の先輩方は「和」な感じ、つまり、心身一体論者が多いです。僕も物心ついた頃から直感的に心身一体論者です。


ここ10数年でだいぶ世に広まってきたヨガは、その間の架け橋って感じです。「自分の感覚(自己感覚性)」を大事にするって感じですよね。演劇人の身体論とは、明治以降、さらに戦後、西洋式の教育を身体に押しつけられてきた歪みを、抵抗し続けてきた歴史なのでははないかと推測します。武道家とかもそうでしょう。もちろん全員ではないかもですが。


西洋人自体も、東洋に近づいてきてヨガとかやり出してきて。ジョブスとか、ビル・ゲイツしかり。それが日本人に逆輸入で浸透してきている感じです。付随して仏教とかも。つまり、西洋と東洋が近づいてきているわけで、僕が演劇系パーソナルトレーナーと名乗っているのは必然ですね。つまり演劇系パーソナルトレーナーとは、西洋と東洋の合体の謂なのかも知れません。

つづく